vol6 考察・悪役ラゲドー

地底国ノームの元王ラゲドーはつねにオズの国をねらっている。
ノームは土地の精霊。
風と共に去りぬの続編「スカーレット」(訳著:森瑤子)には、こんな話がある。 スカーレットはレッドバトラーにあしらわれて、ちょっとした気まぐれで海を渡ったスコットランドにマナーを所有する。 いっぱしの領主となり、貴族とつきあうようになる。でもスカーレットはもともと綿花を育てる地主の娘だったので、 土地というものに人一倍愛着があった。だからスカーレットは領主としてその年の収穫をねがい地の精霊に挨拶をする。 春になり種をまくとき、どうかいたずらや意地悪をしないでくださいと、朝もやのなか儀式をおこなう。
地の精霊は地の恵みを奪うものに容赦がない。とはいえ地の国はとても豊かな国。多少のものは目をつぶっている。

ラゲドーは、いつもだまって当たり前のように自分のものとしてしまう地上人に対して怒っていた。
実は地底の国はダイヤモンドで川をつくれるほど豊かで、いくらくれてやってもたいして問題ではない。 物質の豊かさのスケールがとてつもなく大きい国なのだ。 しかし、感謝をせずに当たり前のように地の産物を掘り起こすやからは礼儀知らずだと怒っている。

そういえば、妖精の話によく出てくる地底に暮らすドワーフという小人族も、地上人と昔は互いに協力したこともあったが、 人間がむやみやたらに財宝を奪い取るので嫌って地下で暮らすようになったという。
こうしてみると地下国と地上国では思いの違いがあるのだ。

違うといえば、豊かな地底国において、仕事というのは「食べていくためのもの」ではなく、 生きる営みが退屈してあらそわないようにするものなのだ。 だから、やれ宝石で庭園をつくるだの、宮殿にからくりをつくるなど、仕事を考えだすのが王様の仕事というわけだ。 ラゲドーは長年王様業をするうちにあきてきて、とうとう難題や意地悪をするようになる。最初は小さな快感だったのに それも次第に退屈してきてしまった。
そこへ小娘ドロシーがあらわれて、ラゲドーの魔法のベルトを奪い取ってしまう。なんという屈辱! それからのラゲドーはオズの国を目の敵にしている。
何度も何度も征服を試みて、とうとうノームの国を追放されてしまう。いったんは懲りて反省をするものの 、再びオズへの復讐を募らせる。
とはいえ年寄りのノームが王様という仕事をうばわれて地上をさまようのは とてもつらいことだろうと、オズのオズマ姫はエメラルドの都のはずれの家をラゲドーに授ける。 エメラルドの住民は全く愛想のない風変りな老人に親切にする。するとますますラゲドーは居心地の悪さを感じてしまう。 ラゲドーはなかなか外にも出なくなり、家の地下に洞窟を掘る。そして石に自分の生涯を彫りすすめていく。 それでも心の空虚さは消えない。意地悪することにすっかり慣れてしまったラゲドーにとって、心安らかに日々を過ごすというのは 計り知れない苦痛なのだ。なぜ心安らかに過ごさなければならないのだ。 葛藤の中で苦しみ、答えが見つからないままオズへの憎しみがつのってくる。復讐しようにも自分にはすでに魔力も家来もいない。 また葛藤の渦にのみこまれていく。
ラゲドーは心安らかな日々はいらないと思っている。 復讐を考えることで、ラゲドーらしくなんとか生きている。17巻「オズのカブンポー」にはそのことが詳しく書き込まれている。

私はラゲドーが葛藤するたびに、心が痛くなる。 最初はオズの復讐なんてやめればいいのにと思っていた。 でもね、今はちがう。もがいている姿が哀れと混じって、愛おしいとすら感じる。 そのままの悪役のラゲドーに愛おしさをはっきりと感じる。 ずいぶんがんばっているな。無理しているな。 奥のほうにある気持ちに気づいたら、ラゲドーはラゲドーでなくなってしまうだろう。
もともとラゲドーという人物の心のスケールは大きいとすら感じる。 普通の人ならオズマに向かって復讐なんて考えない。 スリルも好きなタイプだ。実行力もある。審美眼も備わっていて、美しいものが好きだ。 自らの力をもてあましている。 いつまでたっても心の空虚が埋まらない。 苦しくて仕方がないのである。

ホロスコープをつかった西洋占星術のなかでは、魂は生まれる時に人生のシナリオは決めているという。 おもしろいのは、その魂が今回の人生で学ぶことは、人生が失敗でも成功でもどちらでも得られるというのだ。 人生のシナリオは変わらない。主役の役どころとしてとして悪役でいくか善役でいくか、失敗者でいくか成功者でいくかといった 見せ方の違いにすぎないというのだ。 悪役は死ぬときに、○○だったからできなかったという経験をつみ、ならば○○をすればいいと答えを得られる。 成功者の役は生きながら恩恵を味わえる。どちらにしろ体から魂が離れるときには学びたいことを学び終えているのだ。 そこで思ったのだが、シナリオで悪役を演じるというのもたいしたものだと思う。 だって人に嫌われても自分のやり方を変えない強さは、その魂の近くにいた別の魂に大きく影響を与える。 どうしようもない人をみて当然のごとく「こりゃいやだな。こうなりたくない。」とすんなりとその人の心に受け入れられる。 成功者だと「私にはムリ~」と拒否されてしまうこともある。 ということは、悪役でいるというのは人生の成功者よりも多くの他人を導いていると思うのだ。 だから、ラゲドーがかたくなにオズに復讐するたびに、あまりにも何回も復讐するものだから 今となっては痛々しくてけなげで、応援はしないけれども、それはそれで愛おしい存在なのだ。
では、そんな存在に出会ったら、どうしたらいいのだろう。

ここでもまたオズのオズマ姫には脱帽する。 オズマはラゲドーに致命傷を与えない。 というか致命傷なんてものは与えられないと知っているのだ。 心というものは誰が何と言おうとその人のもので 他人では支配できない。 オズマはラゲドーに元気がないことを知っている。 そしてそっとそのままにしている。 それでいいと思っている。 何度も何度もラゲドーの相手をしている。 それもまた愛なのだと思う。

オズっておもしろい。

Happy end をあなたに

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